ぬる湯ま

よく錆びます。

カナブンの引っ越し

 

突然、背中にカナブンが飛び込んできた。

 

カナブンとの長い帰路

 

これはある夜、新宿から八王子へ向かう列車に乗っていた時のことである。

最近の電車はコロナ対策のために窓を開けて走ることが多い。

窓を開ける電車といえば、今まで割と涼しい日々が続いていたこともあり、特急電車みたく飛ばす電車に乗ると、車内にもいい具合に風が舞い込んできて心地が良く、また普段は案外聞けない、外に響く電車の走行音を開いた窓から直に聴くことができるというのも、鉄道オタク的には楽しいことであって、何かとメリットを感じることの多いものであった。

 

しかし季節は変わり、梅雨ももう折り返し地点を過ぎただろうか。どことなく湿気た陽気に、これからくる夏の気配を感じる。そして夏の気配と共に、今年も彼らが動き出す。

虫である。 

ここ最近になって虫が増えてきた。ある夏の夜、家でくつろいでいると、居間の蛍光灯に何匹もの虫がたかっているのを見て驚き気づく「あ、網戸閉めてないわ」

 

電車も例外ではなかった。

空調の効く最近の電車では、窓を開けて走ることは今までにそうそうなかった。いや、路線や地域によってはあるのかもしれないが、少なくとも地元路線では見かけない。だから余り気にしたことはなかったのだが、このコロナ禍で電車が窓を開けるようになり気づかされた。夜中に走る電車には、割と虫が舞い込んでくるのである。

 

背中に違和感を覚えたのは、帰宅客をまばらに乗せた準特急が明大前を出てから少ししたときのことである。

突然、少し冷たく丸みを帯びたような何かが、首筋を伝って背中と服の間に入り込んできた。最初は水滴かなと感じた。いつどこで雨が降ってもおかしくないこの季節だし、どこかから滴った水が絶妙なタイミングで背中に舞い込んだのだろう。

そう考えたが、それにしては少し硬すぎやしないかとも思ったので、背中に手を突っ込んでみると、なにやら足が生えているような感触がある。どうやら虫っぽい。得体の知れない色をしたグロテスクな昆虫とか、それこそ小さなG的なアレとかだったらしんどいなぁと思いつつ手で握って取り出してみると、そこにはカナブンの姿があった。ずんぐりと丸い、少し光沢のある緑色の姿をした、馴染みのあるルックスだ。

 

そう、夏が近づくにつれ虫たちが活動を始めると、夜な夜な窓から漏れる光に誘われて、開いた窓から虫たちが舞い込んでくるようになったのである。

 

あぁカナブンか、良かった。苦手なタイプの虫じゃなくてよかった。そう安堵したとともに、ある問題が浮かび上がってきた。

 

「このカナブン、どう処理しよう」

 

ここは走る電車の中。問題のカナブンは私の握りこぶしの中に隠されている。

虫が苦手な人が近くに座っているかもしれないと思い、咄嗟の判断で周りから見えないようにしておいた。だがこれは愚策であった。

打開策として、カナブンが舞い込んできたときのように、再び窓から投げ捨てるという選択肢が浮かんだのが、あいにく手だ届く範囲に開いている窓がなかった。開いた窓に面する座席には既に人が座っていた。そして周りの人はおそらく、私の手の中にカナブンがいることを知らない。

走行中、突然席を立ち、近くの窓に手を差し込んで何かを投げ捨てようものなら、それは危ない人である。とりわけ安全面においてもだ。

投げ捨てたものが車内に舞い込んだカナブンであることが周知の事実であったなら「あ、こいつ車内に迷い込んだカナブンを逃がしたんだな」という世論が醸成されるはずであったが、上記の通り、私はとっさの判断でカナブンを他人の視界に入れないようにした。世論は醸成されていないのである。

ゴミかなにか、得体の知れないものを走行中の電車の窓から投げ捨てたとなれば、周りからは行儀の悪い人として衆目に晒されることとなるだろう。それは御免だ。

 

もちろん、窓から投げ出せないからと言って、いまこの車内でカナブンを手から逃がすのは完全にアウトである。

目の前に腰かけた冴えなさそうな男が突如、手の中からカナブンを飛ばしたとなれば貴方はどうするか。悲鳴を上げるか。Twitterに晒すか。まあ何にせよ良い思いはしないだろう。

これは完全に物議ムーブである。繰り返すが、車外から迷い込んできたカナブンを私がやむなくホールドしているという共通認識は恐らくない。この状態でいきなりカナブンを手から逃がそうものなら、それはもう手品だ。

走行中の電車でいきなりカナブンを出した男として十字に架せられるだろう。それこそ周りには虫が苦手な人だっているのかもしれない。悲鳴の嵐だ。不幸にも停車駅の少ない準特急電車が次の駅に停まるまで、まだしばらくかかる。その間、私の手から逃げたカナブンが車内で動きまわる様子を、私に対する周囲の侮蔑と共に見ていなければならなくなる。

これはいけない。私はしばらくこのカナブンを手にホールドし続けることにした。

 

次なる打開案として思いついたのが、「駅停車中に投げ捨てる」ものである。これは走行中の電車から逃がすよりはるかに安全だ。電車が駅に停まって、ドアが開いている隙に手から逃がせばいい。

しかし、結果から言えば、これは実行に移さなかった。

私はロングシートの角席に腰かけていた。ロングシートとは都会の電車ではよくみられる、5~6人が横並びで腰掛けるような座席のことだ。

その角席なので、ドアは割と近い方であったのだが、悲しいことに、これから準特急が止まる駅では、すべて私が腰かけてない方にある、向かい側のドアが開くことになっていたのだ。これでは一旦席を離れる必要がある。このムーブにはリスクがある。

その駅で降りるわけでもないのに、席を離れて再び車内に戻るムーブは目立つ。しかもホームに何かを捨てたとなれば、ポイ捨てと思われて咎められてもおかしくないだろう。

加えて無造作にカナブンをホームに投げ捨てた場合、そのあと偶然歩いてきた人によって踏まれてしまうかもしれない。それは避けなければならないことのように思われた。逃がすなら安全な場所の方がいい。しかし各駅の短い停車時間の間で、そんな場所を見つけられるような技量は私にはなかった。

明大前を出て、次に停まる千歳烏山では、上記の理由からカナブンを逃がせないでいた。こんどの停車駅は調布となるが、ここは新しく地下化された駅であり、到底カナブンを逃がせる環境ではない。これにより、私はさらに先の停車駅である府中まで、カナブンと行動を共にすることとなる。

 

 

そもそもカナブンにとってもいい迷惑である。

この話を彼目線で語るとすれば、こうだ。

 

俺は東京生まれ東京育ちのカナブンだ。今は東京・世田谷の桜上水というところで暮らしていて、夜な夜な街に灯る光に誘われては、巷の徘徊を繰り返しているのさ。今日もそんなところでいつも通り、きらめく方向に飛んでみれば、急に強い風にあおられてさ、硬い壁かなんかに打ちつけられたんだ。そこで俺は気を失った。

ふと気が付くと、周りは暗くて、非常に蒸し暑いところだった。どうやらここはヒトの手の中らしい。若い頃を思い出すぜ、よくわからない少年に捕まっては、ずっと手の中で握られていて、まるでサウナのような灼熱地獄に晒されていたことを、、

このヒトは俺をどこまで連れていくつもりだ? あ~、早く開放してほしいぜ、俺はいつまでこの状態でいるんだろう、勘弁してくれよ~~!!

 

こうして、桜上水で暮らしていたカナブンは、電車に乗った謎のヒトの手の中で西へ西へと運ばれ、やっと解放されたころには、高幡不動の駅まで来てしまいましたとさ。めでたしめでたし。

 

 

こんなところだろうか。

23区内で育ったようなシティーカナブンが電車に迷い込んだところ、見ず知らずの人の手に囲われ、やっとこさ解放されたと思えば、それは西へ20kmほど離れた日野市の高幡不動駅となれば、カナブンもたまったものではないだろう。

 

こうして、最終的に私は手の中にしまい込んだカナブンを、高幡不動まで連れ出してしまった。途中の府中、分倍河原聖蹟桜ヶ丘のどの駅でも彼を手放すことはできなかったのだ。

というのも、これらの駅は割と都会的な雰囲気で、どうもカナブンを放るにはまだポイ捨て感が否めない感があった。高幡不動まで来れば、周囲に緑があったりするので、カナブンにとっても比較的逃げやすい環境がそろっているのではないかと思ったからである。

 

高幡不動で下車した私は、カナブンを片手にホームの端の方へと向かい、人に踏まれなさそうな場所でカナブンを手放した。後のカナブンの動向はもう知らないが、達者でやれたらいいと思う。

 

 

そんな具合で、突然の出会いに始まったカナブンとの帰路は幕を閉じた。

 

 

そして、この記事を書くにあたって調べた情報によって、私は間違いに気づかされる。

 

 

カナブンは、実はカナブンではない

 

なんじゃそりゃ! 実は昆虫に詳しい人ならもう誤りに気づいていたかもしれないが、この見出しの通りである。話の前半、私がカナブンを手に取ったあたりの描写を思い出してほしい。

 

ずんぐりと丸い、少し光沢のある緑色の姿をした、馴染みのあるルックスだ。

 

私は今までこの虫のことをずっとカナブンだと思っていた。

だが調べるにつれ判明したことがある。

 

私が出会ったは恐らく「アオドウガネ」である。

 

www.nature-engineer.com

コガネムシ科に属する「カナブン」「アオドウガネ」「コガネムシ」といった虫はよく混同されがちだという。見た目が殆ど一緒だからだ。まぁ有識者から見れば違いは一目瞭然なのかもしれないが、私は今の今までこの違いに気づかなかった。

 

上記のサイトによれば、カナブンとアオドウガネは似ているが、頭部の形状や小楯板(しょうじゅんばん)という羽の付け根の三角形の部分の形状に違いがあるという。また今回、都市部を走る電車で出会ったように、街中で見ることが多いのはアオドウガネであり、カナブンは雑木林といった木々の中に居ることが多いそうだ。ただ樹木等の条件に合致する公園であれば、比較的街中でもカナブンを見かけられるかもしれない。

そしてコガネムシに関しては画像を見れば一目瞭然なのだが、背中の光沢感がまったくもって異なっている。今回電車で出会ったそれとは比べ物にならないくらいの光沢感を持つのが、コガネムシである。読んで字のごとくとはまさにこのことを言うのだろうか。

 

新しく知ったことがもう一つある。このアオドウガネは、なんと害虫であったのだ。

アオドウガネの幼虫は植物の根を食べ、成虫は葉を食べることから、特に園芸界隈からは害虫との呼び声が高い。コガネムシも同様という。特に沖縄ではサトウキビの立ち枯れを起こし、毎年大規模な誘殺をしている程である。

対してカナブンは幼虫は落ち葉を、成虫は樹液を餌とするため、農作物に対する被害もなく、前者2名のような物議は醸していないようだ。

 

他人に踏まれるのが不憫だ。できることなら生かしておきたい。そう思って安全な場所で彼を解放したつもりだったのだが、彼が害虫の一端を担っていると知ってしまうと、この考えは正しかったのかと不安になる。命拾いした彼がここぞとばかりに近所の庭に生えた草花を食べ荒らすかもしれない。

目の前の生き物の命を大事に思うのか。害虫による悪影響を1mmでも減らすため、ここで出会ったが最期として命を絶ってもらうべきだったのか。正解は一体何だったのだろうか。

 

カナブン、、もといアオドウガネと別れを告げた後、帰宅して起動したパソコンの前で悶々とする月曜夜であった。

 

 

おしまい

 

 

 

わかりやすい解説・参考元

 

davincimaster.com

 

www.miyakomainichi.com

 

www.nature-engineer.com

 

www.nou-ka.com

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本文は誤字脱字や言い回し改善のために加筆・修正を加えることがあります。