ぬる湯ま

よく錆びます。

2月のブログ錆び取り

 

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先月はこちら

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ブログ錆び取りもめでたく2ヵ月目。

こうやって新しい習慣を根付かせていきたい所存です。果たして来月は――。

 

 

 

2/2

部屋が散らかると気も散るということで、部屋を掃除しました。大きめの箱を買ってきて、床や棚に放置されていたアイテムをとりあえずで収納。箱の中は闇鍋の様相を呈していますが、まぁ何度も出し入れするものではないのでとりあえず一件落着。掃除は好きでも、整理整頓は得意じゃないんだなという気付きを得ました。

棚を整理していると、中から緑色のミカンが顔を覗かせます。おやおや、まだ熟していないミカンなんていつ買ったかしら。もちろんそんな疑問は杞憂です。しっかり腐ってました。

小食すぎて買った食べ物を賞味期限内に賞味しきれない問題、実に根深い。

  

 

2/13

そういえば今年に入ってから、目立った遠出をしていないことに気が付きました。

いや、このご時世で遠出を目立たせたら漏れなく物議なんですが、やはり心のどこかではおでかけを欲しているらしく、まるで海水煮えたぎる海底火山のように、心の深いところで遠出欲を湧かしている自分がいることに気づかされます。目立った旅行は出来ないけれど、この火山が大爆発する前に何らかの形で欲求を紛らわす必要が出てきました。 

 

というわけで足を運んだのは東京・八王子の高尾山温泉。京王線高尾山口駅まで行けば温泉は目と鼻の先です。

休日の朝、ホームや改札口には、カラフルな装いと共にそれっぽいリュックを背負い込んだ方々が散見されます。これから登山などに向かうのでしょうか。きっとこの人たちが下山してくる夕方には、この温泉も大変に混雑していることでしょう。そんな登山勢を横目に、山に用事の無い私は温泉施設へ直行するのでありました。

まず浸かったのは内湯でした。「替り湯」と札の付けられた浴槽には、薄茶色に濁ったお湯が張られておりました。札と共に記されていた説明書きによると、どうやら今の期間は「バレンタインの湯」と称して、アルニカ花やカミツレ花のエキスを入れた風呂をやっているらしいです。

それはもう居心地の良いお風呂でした。これが先述したお花の香りなんですかね、温かい湯、そして香気に包まれて、まるで花畑で寝転がっているような気分。やっぱり足を伸ばして広々と浸かれるお風呂はたまりません。

内湯をひとしきり堪能した後は露天風呂に移動。晴天に恵まれ、岩風呂からは陽の光に照らされた湯気が、神秘的な雰囲気をまといながら立ち上ります。そんな霧に交じって私も入湯。やはり青空の下で入る風呂はいいですね。入浴と日光浴の同時摂取。いい気持ちにならないはずがない。1時間半ほど茹でだこになりました。

 

湯上り後は食堂で早めの昼食としましょう。カツ丼を頼みました。この日は起きてから何も食べておらず、ちゃんと腹を空かせていたつもりだったのですが、1人前のカツ丼を平らげるのにひどく時間を要してしまいました。最近は胃袋の縮小が著しい。行き過ぎた小食というのも考え物です。

久々のお外入浴で満足した後は、心軽やかに帰宅してお布団へ直行。次に目が覚めた時には既に太陽が沈んでおりました。昼夜逆転生活、是正への道のりはまだ遠い……。

長すぎる昼寝に終止符を打てないまま、布団の上で無為な時間を延々と過ごしました。本当は温泉からの帰宅後、昼寝を数時間で済ませてからパソコンでイラスト制作の続きに没頭する算段だったはずだったのに。

こうして何のやる気も怒らないまま、もう何度寝したかもわからないほどに開閉を繰り返したまぶたを閉じ、相変わらずの惰眠をむさぼっていた最中、家が揺れだします。

 

正直油断していました。目を瞑ったまま「あぁ地震が来てるな・・・震度3くらいだろうか・・・」などと考えていました。実際、揺れはゆらりとした感覚で、震源が遠いタイプの揺れ方だったと記憶しています。だから今の地震もすぐに収まるだろうと考えていたのですが……。

揺れは数秒では収まりませんでした。むしろ時折ぐらっとするような振動もきたりして、これはもっと大きな揺れに繋がるのではないかと不安になり、ここで初めて体を起こした次第です。幸いにも揺れが悪化することはなく、しばらくかかってから収まりました。

ひと段落着いた後にテレビとTwitterを見てみれば、揺れの正体が福島県沖を震源とする震度6強の地震であることがわかりました。そりゃ地元もしっかり揺れたわけです。Twitterのタイムラインをひたすら遡り、緊急地震速報が出る前と後を見比べて、その空気感の違いを妙に感心深く眺めたりしてました。

 

以下しばらく余談。

災害の話になると決まって思い出すのが、ある夏休みの話。田舎へ帰省したら滞在中に台風が直撃し、数日間の停電を経験した回です。この数日間にわたる停電というのが難儀で、色々な面倒事がありました。そんな中で備えていたらよかったものとかが何点かあるので、せっかくですし備忘録として記しておきましょう。

 

停電によって引き起こされた数ある難儀の中でも、忘れられないのが「風呂」でした。

考えてみれば当たり前ですが、電気が止まると給湯器が使えないんですよね。夏場において風呂に浸かれないことの意味するところは言わずもがなでしょう。実は台風直撃の最中において近所の避難所で1泊したりもしていて、長らく風呂にありつけていませんでした。願わくばお湯で身体を洗いたい。

幸い水道は生きていたので、水に困ることはありませんでした。ただ水を貯めても水風呂が出来上がるだけ。我慢しろと言われればそれまでですが、真水で全身を洗うのはできれば避けたいもの。

そこで思いついたのが「ガスコンロによる湯沸かし」。妙案でした。電池式のガスコンロは停電してても使えるのです。さっそく台所へ向かい、できるだけ大きいサイズの鍋を見つけては、そこになみなみと水を注いで沸かしました。あとはそれを風呂場に持っていき、少しづつかけ流しながら全身を洗うのみ。これが冷水だったらと思うと、文字通り身が震える思いです。

今回家の台所には既に電池式のガスコンロが置いてありましたが、例えばキッチンがIHだったりする場合は停電を見越して、小さいサイズのガスコンロを備えておくと安心かもしれませんね。お鍋とかできますし。そして熱湯が手に入るメリットは計り知れないです。

 

加えて言うと、「圏外」にも頭を悩まされました。これは停電による影響か、それともどこかで電線が途切れたのか詳しいことはわかりませんが、私のスマホはしばらくの間電波を得ることはありませんでした。

インターネットが使えないと情報収集はおろか、例えばTwitterを見るなどして暇をつぶす手段にも困ってしまいます(もちろんバッテリーに余裕があること前提で)。同時に停電によってテレビも見られませんので、純粋にめちゃくちゃ暇を持て余します。こういう時にあると良かったのが「ラジオ」や「本」でした。ラジオは言わずもがな災害情報の収集に一役買いますし、本なども暇つぶしに役立つでしょう。台風が過ぎ、あとはいつ電気が復旧するかをひたすら待つまでの退屈しのぎについても、何かしら備えるに越したことはありません。

 

結局、電気は停電から数日間後に見事復旧したと記憶しています。部屋の明かりはつくし、冷蔵庫も電子レンジもオーブンも使える。そして風呂に入れる。当たり前だった生活のありとあらゆるが電気で保たれていたんだなぁと改めて痛感。停まるとしっかり困るものですね。

そんな話をよく思い出すので、このまま記憶が色褪せぬうちに記した次第です。以上余談でした。

 

 

2/16

そう、私です! でお馴染み「魔女の旅々」特集と称し、アニメイト池袋本店でグッズ販売をしているという情報を得たので、行ってきました。

池袋の店を訪れるのは初めてでしたが、まさか建物まるまる一つが全部アニメイトになってるとは思いませんでした。いやまぁ、本店ってあるくらいだし、それくらいの規模はあってしかるべきかもしれない。

 

店内は色んな人で賑わってました。というか、今まで行ったオタクグッズ屋さんとはなんだか客層の雰囲気が違う。

端的に言えばおしゃれな雰囲気をまとった人が大多数でした。男女問わず、外見に一磨き加えたような垢ぬけた格好の人だらけで、まるで大学構内にいるときのような肩身の狭さを勝手ながらに感じてしまうのでした。あれ、世間で幅を利かせるオタクの方々の大半って実はみんなこんな感じなのでしょうか……? そもそもオタクの店だっていう認識も誤りかもしれません。いずれにせよ多くの色んな人に訪れられるに越したことはないでしょうし。

 

というかアニメイトって漫画とか書籍だけじゃなくて、イラスト描くための参考書とか画材とかも色々置いてるんですね。色見本とか柄見本とか、何かと重宝できそう。品ぞろえ眺めるだけでも中々に楽しかったのでまた機会を見つけては行きたいかもしれない。

 

 

2/22

所用で新宿に赴く機会がありましたので、その流れで有楽町・銀座エリアに点在する「都道府県アンテナショップ」のいくつかへ足を伸ばしました。

今回目的にしていたお店があるのは銀座でも中心地に近いエリアでした。道すがら歩いてきた大通りの両側にはオシャレな建物が軒を連ねています。同じ東京の街と言っても、渋谷や新宿、池袋などとは一線を画す雰囲気。通りに面したビルの顔ぶれ1つ1つが個性に溢れていました。

通行人の格好もどことなく余裕が感じられて、なんというか生きるレイヤーが違う感じです。雨風をしのげればいい程度に見繕った衣服をまといながら歩く自分が酷く恥ずかしい。こういうとこで仕事したりオフを過ごしたりするのってどういう気分なんでしょう。

 

アンテナショップに寄る前、気分転換にでもと家から持ってきた一眼レフを片手に、撮り鉄ごっこでもしようかと思い駅でカメラを構えたのですが、なぜか反応がない。おやおや、これではまるで屍じゃないですかと首をかしげていたら、それもそのはず。バッテリー挿し忘れてました。これが遠出じゃなくて良かったね。

 

 

ーー

 

絶賛プレイ中のポケモン「ブラック2」ですが、先日ついに殿堂入りを果たしました。ここ最近はチャンピョンロードとポケモンリーグの攻略に足踏みを続けていたため、他にはこれといったトピックはありません。

しばらくは殿堂入り後に解放されるエリアへ足を運び、前々からゲットしたいと思っていたポケモンを集めていようかと思います。「ドクロッグ」とか「ペラップ」「カラナクシ」などなどの辺り。見てくれ重視でゲットしていくタイプです。

あとはブラックキュレムアクロマとの再戦で好きな戦闘BGMに舌鼓(鼓膜鼓?)をうったり、レジ系ポケモンの回収に向かったりする予定です。これらがひと段落着いたら、こないだ買った「オメガルビー」のプレイにも着手しようかなと思います。

 

 

 

ダイヤモンド・パールから15年て・・・

 

 

 

単行本を読み進めている「魔女の旅々」原作は4巻まで読了。相も変わらず主人公は出会いと別れを繰り返しながら旅を続けている模様です。というか5巻まで到達してなお、未だアニメで放送された話はすべて回収されていなくて、一体どれだけ原作のストーリーが豊富なんだよと。アニメ本編は本当に原作の1つまみていどの数でしかなかったんだなと強く実感しました。もし2期が発表されても、原作のすべては到底拾い切れないんだろうな。圧倒的文章量。何してたらこれだけの物語が思い浮かぶんだろう。

 

物語では旅の道中における出会いと別れ、とりわけ別れについての描写が繰り返されるのですが、別れを前提とした出会いを繰り返すってなんだか儚いなと思った次第です。

旅の中、どれだけ辛い場面を乗り越えても、楽しい時間を共にしても、最後には結局それぞれの道へ分かれてしまう。やはり一緒にいて楽しい人とはなるべく長く一緒にいたい、関係を続けたいと思うもので、それが終わる瞬間はどうしても惜しいものに感じる。だから最初から別れの訪れを知っておきながら出会う行為ってなんだか惜しいようななんというか。

作中でも別れを惜しむ描写はされるようで、そこでは敢えて別れの言葉を口にしなかったり、前向きな言葉でお互いの道中を締めくくったりする様子が描かれています。そういうことが出来る人はとても強いなと思います。自分は未練がましい人間なので、最後の最後まで別れを惜しむだろうし、平気で、本音として、寂しいやらなんやら後ろ向きの言葉を発してしまうことでしょう。一人は寂しいので。

アニメ2話でイレイナさんが発した「本当に本気で何かを成し遂げるとき、人はいつだって孤独です」という台詞がグサグサ刺さる。今の自分はきっと何も成し遂げられない人間なんだろうな。

 

別れは寂しい、孤独はしんどい。でもそれは避けられないし、乗り越えないといけないから、頑張って前向きな言葉で、希望を未来に預ける形で、今まで共にした旅路を締めくくるのでしょうか。

 

「また会いましょう」そんな言葉と共に。